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やたら人を変えようとする人と、自然と人を変えられる人の違い

人生、色んな人に会うことがあります。その中でも、時折、やたら顔を詰め寄って、熱意たっぷりに「おまえの人生それでいいのか?」的なことを言ってくるヤカラがいます。いわゆる、やたら人を変えてこようとしてくる人です。

これは個人的な意見ですが、こういうヤツにろくなのはいません。以下、つらづらと書いてみたいと思います。

やたら人を変えてこようとする人と、自然と人を変えられる人

やたら人を変えてこようとする人とは、どんな人か

「やたら人を変えてこようとする人」は、だいたい下記のパターンで照合できます。

・お決まりのように喫茶店に呼び出してくる
・マンツーマンスタイルで、やたら上から目線で話してくる
・イチローなど著名人(他人)の成功談をやたら持ち出す
・自分は(自称)勝ち組だと確信している
・チャンスという言葉が大好き
・珈琲一杯で、2時間以上のおしゃべりはデフォルト
・言葉のほとんどが著名人の本から切り貼りしたコピペ
・一定の組織団体において権力(発言権)を持ち始めたばかり系の人
・「自分と話せることは貴重な経験」と盲信している
・「世界は~」とか「日本は~」など、まるで国代表のように振舞う
・ビジネスの成功論=人生のすべてと思っている
・頼んでもないのに果てしなく無駄にお節介
・誘いを断ると、鬼のようにしつこい
・宗教団体チック。(というか、そのものの場合も多い)
・学生、無職、フリーターなど、弱者大好きマン
・偉そうな割に安い服やうさんくさい恰好をしている
・結局、自分の利益のために行動していることが見え見え

まあ、なんというか、一言でまとめると、「ウザイ」に尽きます。

やたら人を変えてこようとする人の行動矛盾について

やたら人を変えてこようとする人は、一見まともぶったことを言ってきますが、その実、やっている行動は酷いものです。

わざわざ一市民に対して、アホみたいに時間を使って、ひたすら説得・・・。とても効率悪いコト、はなはだしい。

そんなに偉い人間なら、まずは書籍の一冊でも作ってみたらどうなんでしょう。そうしたほうが、よっぽど心変わりしてくれる人が増えるかと思います。(どうせ、そこまでの自信や実力がないから、弱者に限定してイビっているだけなのでしょうが。)

それに、本当にそんなスゴイ人なら、たかだか一市民に対して、やたらめったら工数を使っている余裕なんてないはずなんです。つまり、そんな時間があるということは逆説的に、そんな説得じみた行動をしないといけないほど余裕がないって言い換えられるんですよね。なんとも格好悪いことです。

自然と人を変えられる人とは、どんな人か

対して、自然と人を変えられる人とは、どんな人でしょうか。

これは、下記の具合だと思います。

・一個人に目を向けていない人
・とにかく努力している人
・自分の目標のために一心不乱に頑張っている人
・自分自身にストイック。他人には普通
・その人の発言、行動を受けると、なんだか気持ちが良い
・見ていて不快でない

自然と人を変えられる人は、自分の成長をひたすら見ている

ひたすら自分のために頑張るという人は、とにかくかっこいいです。そして、人々は、そんなカッコイイライフスタイルに憧れて、「自分も頑張ってみよう」とか、「自分もああなりたい」など考えて、今の状況を変えてみようというキッカケを得ます。

たとえば部活のセンパイなんかで考えてみると、やたら偉ぶっている実力過小人より、無言の実力者のほうが尊敬されやすいという感じでしょうか。

要するに、人を変えようとするなら、その分、自分をさらに変えてみせる、という姿勢の方がより効果的ということです。

「変わる」ということは、自発的な動機に基づかないと効果も薄い

ちょっと視点を変えて、学校の勉強などを思い出してみましょう。

たとえば、好きな科目と嫌いな科目があった時、親や教師に嫌いな科目をひたすら抑圧されてやらされたら、よっぽど教え方がうまくない限り、上達はしません。

対して、好きな科目の方は、自分自身が興味あるものだから、親や教師のアシストなどそこそこに、勝手にどんどん勉強していって、覚えが良いです。

つまり、「自分がやりたい」という自発的な気持ちなくして、効果的な成長は望めないという話です。

そのため、いくら自称スゴイ人が、「こうしたほうが勝ち組なんですよ」といったところで、当人にその気持ちがなければ暖簾に腕押し。効果は薄いということです。

まとめ

人を変えたいなら、その分、自分が変わる。そして、そんな自分のコトを応援してくれている人とだけ組んでいった方が、総合的に見て効果的でスムーズだよ、という話でした。

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